恋する幸村

恋する幸村 page 10/24

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「でも、奥方様……」さくらの縋す がりつくような言葉を無視して、夫人は「大丈夫、大丈夫」と微笑みながら、もう話は済んだとばかりに、席を辞じすよう小こ手てを振って示したのだった。*さくらは、四条富とみの....

「でも、奥方様……」さくらの縋す がりつくような言葉を無視して、夫人は「大丈夫、大丈夫」と微笑みながら、もう話は済んだとばかりに、席を辞じすよう小こ手てを振って示したのだった。*さくらは、四条富とみの小こう路じに住む大工の娘だった。母親に早く死なれ、父の手一つで育ったが、やがてその父も病を得て世を去った。さくらは天て ん涯がい孤こ独どくの身となったが、その境遇を憐あ われんだある人の世話で、13の年に菊亭家で下働きをするようになった。菊亭家は鎌倉時代に創設された、清せい華が家けの家格を持つ公家で、創設者である兼か ね季すえの邸宅が、烏からす丸ま今いま出で川がわ付近にあったことから今出川家とも呼ばれた。菊亭の名は、兼季が自ら菊亭入道と称するほど菊を愛し、邸宅内に多くの菊を植えていたことに因ち なんで付けられたと言われる。その後も同家では代々菊を大切に扱い、300 年後のこの時代においても、秋になると菊亭家内は、色とりどりの菊の花で埋め尽くされるのであった。菊亭家第12代当主の晴季は、まだ20代の半ばであったが、聡そ う明めいなうえ行動力があり、公家のホープとして将来を嘱しょく望ぼうされていた。当時の日本は、室町幕府の権威が低下し、全国の戦国大名らが覇はを競い合う、いわゆる戦国時代の真っただ中にあった。10