平清盛伝京都源平地図本

平清盛伝京都源平地図本 page 9/26

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平家の武将たちの首が渡されたろくじょうか六条河わら原ほう平安期以来の処刑場。保ただまさへいじでは平忠正が、平治よりよし頼、源義平げん元の乱のぶの乱では藤原信ひらがここで斬首されている。また、一ノ谷の合....

平家の武将たちの首が渡されたろくじょうか六条河わら原ほう平安期以来の処刑場。保ただまさへいじでは平忠正が、平治よりよし頼、源義平げん元の乱のぶの乱では藤原信ひらがここで斬首されている。また、一ノ谷の合戦のあと、都に凱みち旋した源氏の将兵たちが、通もり盛、ただのりあつもりつねとし忠度、敦盛、経俊ら討ち取った平家の武将の首を、朝廷の役人に引き渡したのもこの場所であった。義経と弁慶が戦った五条大橋の畔にあるうしわかまるべんけいぞう牛若丸・弁慶像夜な夜な武者に戦いを挑んでは太刀を奪い取っていた弁慶。あと1本奪えば千本となる夜、五条大橋で牛若丸(義経)に出会う。さっそく牛若丸に襲いかかるが、逆に牛若丸の軽いほん身のこなしに翻ろう弄されてしまう。これをきっかけに、弁慶は義経の家来となり、平家打倒に向け共に戦うことになる。清盛ゆかりの駒止地蔵尊が祀られるしん天台宗真せい盛れんこう蓮光じ寺派の祖・真盛が開基したとされ、もとは新町通松原にあったが、その後現在地に移転、浄土宗にくう改宗された。寺内にある空かい海作と伝わる駒止地蔵尊は、六条河原の刑場に祀られていたが、鴨川の氾濫で流され、後年、清盛の乗った馬が急に止まったため、不審に思ってその場を掘るとこの地蔵が出てきたといわれる。DATA ?075-351-3066料境内自由(多人数は事前連絡、本尊特別拝観1000円で要予約)時10時~16時休無し本格懐石をリーズナブルにかっぽう割烹いいむら隠れ家のような落ち着いた雰囲気の中、旬の魚や京野菜を使った本格懐石を、夜は5250円からリーズナブルに味わえる。平日限定の昼の日替り定食は650円とかなりお得。1日限定50食なので早めに訪れよう。後白河法皇が建立した持仏堂ちょうこうどう長講堂平家が都落ちし、木曽義仲が京に入った寿永2年(1183)、都に残った後白河法皇が、持仏堂として六条あ西洞院殿内に建立した寺院。寺内に安置される阿そん尊像と後白河法皇坐像は、ともに重要文化財に指定されている。また、清盛や義経らの名が記された「過去現在ちょう牒」なども保存されている。み弥だ陀さん三DATA ?075-351-8023営11時30分~売り切れ、17時~22時30分休日曜休(ランチは土曜祝日も休)DATA ?075-351-7021料時休参拝自由19