平清盛伝京都源平地図本

平清盛伝京都源平地図本 page 8/26

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源平、皇室ゆかりの史跡が点在01京都駅きょうとえきこまどめれんこうじ清盛ゆかりの駒止地蔵尊を祀る蓮光寺や、後ちょうこうどう白河法皇の持仏堂であった長講堂がある。また、五条大橋西詰の牛若公園には牛若丸・弁....

源平、皇室ゆかりの史跡が点在01京都駅きょうとえきこまどめれんこうじ清盛ゆかりの駒止地蔵尊を祀る蓮光寺や、後ちょうこうどう白河法皇の持仏堂であった長講堂がある。また、五条大橋西詰の牛若公園には牛若丸・弁慶像がにしのとういんあり、松原西洞院の五条天神社は2人が初めて出会った場所とされる。静御前歌人・藤原俊成の邸宅にあった神社しんたま新玉つ津しまじんじゃ島神社ふじ歌人として名高い藤わらの原としなり俊成が、自分のそとおりのいらつめ邸宅内に衣通郎姫を祀るため建立した神ただのり社である。清盛の弟・忠度は、平家都落ちの際、途中引き返して恩師である俊成の邸宅を訪れ、和歌の巻物を託して立ち去る。俊成はのちに彼の歌を、読み人知せんらずとして『千ざい載DATA料時休参拝自由和歌集』に納めている。義経と弁慶が初めて出会ったへい平あん安せん遷と都ごじょうてんじんじゃ五条天神社の際、都の守護を目的に五条西洞院に建立されたといわれる。当時は五条天神の森と呼ばれる広大な鎮守の森が広がっていた。平家打倒の立役者・義経がまだ牛若丸と称していた頃、この森のムクノキの木の下で、初めて弁慶と出会い、戦ったとされる。DATA ?075-351-7021料時休参拝自由義経と静御前が暮らした六条堀川邸の井戸跡みなもとの源さめがいのあとひ左女牛井之跡碑よりよし頼義が築いた六条堀川邸にあった井戸の跡とされる。六条堀川しずかごぜん邸は、義経と静御前がともに暮らした愛の住まいでもあった。平家滅亡の後、頼朝は、義経の命を狙うためとさのぼうしょうしゅんこの館へ刺客・土佐房昌俊を差し向けるが、静の機転によって義経は無事難を逃れている。売切れ必至の手づくりおはぎいまにしけんおはぎの今西軒明治30年創業の老舗で、つぶ餡・こし餡・きな粉の3種類の手づくりおはぎを1個170円で販売。水や塩など各素材にこだわり、伝統の製法で毎日丁寧に作られている。甘すぎない上品な餡が特徴。昼過ぎで売り切れることが多DATA ?075-351-5825営9時30分~売り切れ迄く、予約がベター。休火曜、第1・3月曜休(7~8月は月・火曜休)18