平清盛伝京都源平地図本

平清盛伝京都源平地図本 page 7/26

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7以仁王の乱以仁王1151~1180 1104~1180源頼政老将頼政のけしかけ高倉天皇が退位し、清盛の娘・徳子が生んだあんとく3歳の安徳天皇が即位すると、都は祝賀ムードに包まれた。清盛にとっては、血の繋がった孫が皇....

7以仁王の乱以仁王1151~1180 1104~1180源頼政老将頼政のけしかけ高倉天皇が退位し、清盛の娘・徳子が生んだあんとく3歳の安徳天皇が即位すると、都は祝賀ムードに包まれた。清盛にとっては、血の繋がった孫が皇位に就いたのである。これで、平家の繁栄は永遠に保証されたと、喜びで胸躍らせたにちむほんがいない。しかし、その影で新たな謀叛の動きが出始める。もちひとおう後白河法皇の第3皇子・以仁王の御所を、源みなもとのよりまさ氏の老将・源頼政が訪れ、こう言って謀叛をけしかけた。「今の世相を見るに、平家への不平不満で満ち溢れています。平家を滅ぼし、鳥羽離宮に幽閉されている父君(後白河法皇)を救出しましょう。あなたがその気になれば、喜んで馳せ参じる源氏が全国に大勢います」。30歳の今まで世間から忘れられた存在で、世ちゅうちょ情にも疎かった以仁王は、初めこそ躊躇するが、高名な人相見に「皇位に就く相」と言われると、すっかりその気になってしまい、平家討伐の令旨を東国の武士に向けて発したのだった。みいでらとまず三井寺に身を寄せる。そこで、延暦寺とろくはら興福寺の僧兵の力を借りて六波羅を攻めようとするが失敗、今度は奈良に向け出立する。しかし、宇治橋を渡ったところで、清盛の四とももり橋合戦の行われた宇治橋(P69)男・知盛率いる平家軍に追いつかれ、両軍の間で激戦が開始された。以仁王の軍は、宇治橋の底板をはずし、雨のように矢を放って防戦するが、平家軍に渡河を許したところで、退散を余儀なくされる。頼政は平等院で自害、以仁王も今の木津川市で追っ手に捕まり、一斉に矢を射られ、落馬したところを斬首された。頼政のけしかけに乗ったばかりに若死にしてしまった薄幸の宮。しかし、以仁王の発した平家討よしともゆきいえ伐の令旨は、源義朝の弟・行家の手によって、伊豆にいた源氏の嫡流・頼朝の手に渡っていたのだ。哀れな結末、しかし…しかし、この謀叛の動きも露見してしまう。清盛は、以仁王を検挙するため、福原から軍勢を引き連れて上洛してくる。頼政からその連絡を受けた以仁王は、三条高倉の御所を出て、ひ頼政が自害した平等院(P68)13