平清盛伝京都源平地図本

平清盛伝京都源平地図本 page 4/26

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平清盛の生涯たいらのきよもりしょうがい平清盛1118~1181さっそう平安時代の末期に颯爽と登場した武士とうりょうの一族・平氏。その棟梁である平清盛には、権力を振りかざす極悪非道のイメージがつきまとう。それは....

平清盛の生涯たいらのきよもりしょうがい平清盛1118~1181さっそう平安時代の末期に颯爽と登場した武士とうりょうの一族・平氏。その棟梁である平清盛には、権力を振りかざす極悪非道のイメージがつきまとう。それは、平家滅亡後に創作され、彼をことのほか悪者に仕立て上げた『平家物語』などの影響によるところが大きいだろう。実際の清盛は、何といっても700年に渡って続く武士の時代を切り開いたパイオニアである。賢くもあり、人間的魅力も備わっていたに違いない。彼の素顔に迫るべく、その生涯の足跡を王城の地・京都を中心に駆け足で追いかけてみたい。1出世の秘密ただもり父・忠盛とともに海賊退治4忠盛が昇殿した清涼殿(京都御所)(P27)武士とは、もともと貴族の私有地、いわゆるえん荘園を管理する番人のような存在であった。そしょうれが、仲間を増やして武士団を形成するようになり、その中から平氏と源氏が台頭して、やがて貴族に対抗する勢力に成長していく。そうした時期、清盛の父・忠盛は、西国諸国こくしゅごがんじとくちょうの国守を務め、また鳥羽上皇の御願寺・得長じゅいんさんだい寿院を建立するなどして、ついには宮中に参内ねたすることが許される。それを妬んだ貴族らが、宮中で忠盛を闇討ちにしようとするが、忠盛は、にせたいらのいえさだこにわ偽の刀をちらつかせ、家来の平家貞を小庭に配置して、その目論見を見事粉砕した。たかへいだ」若き頃の清盛は、奔放な性格から「高平太やゆ(高下駄を履いた平家の長男)と揶揄されたが、