平清盛伝京都源平地図本

平清盛伝京都源平地図本 page 17/26

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インパクト大の京風ねぎうどんぎよろづや祇をん萬屋舞妓さんにも評判のうどんと丼のお店。名物はねぎうどん1100円。うどんが見えないほど器一面に覆い尽された九条ねぎは、なんと7~8本分。おろしショウガがアクセン....

インパクト大の京風ねぎうどんぎよろづや祇をん萬屋舞妓さんにも評判のうどんと丼のお店。名物はねぎうどん1100円。うどんが見えないほど器一面に覆い尽された九条ねぎは、なんと7~8本分。おろしショウガがアクセントになっており、ねぎのシャキシャキした食感がたまらない。ほかに納豆うどん1000円も人気。DATA ? 075-551-3409営12時~20時LO(日曜、祝日は~16時)休不定休重盛邸から移築されたとされる勅使門のあるけんにん建仁じ寺臨済宗建仁寺派の大本山で、京都五山の第3位に列せられる。建仁2年(1202)、南宋帰えいさいりの禅僧・栄西が、頼朝の子で鎌倉幕よりいえ府2代将軍の頼家の援助を得て創建した。境内南側に位置する勅使門(矢ノ根門)は、清盛の嫡男・重盛の邸宅の門を移築したともいわれる。DATA ?075-561-6363料500円時10時~17時休行事による休みあり、年末休崇徳天皇・源頼政を祀るすとく崇徳やす安天皇、い井こん金みなもとの源ぴ比ら羅ぐう宮よりまさ頼政を祭神とする神社。讃岐国に流され亡くなった崇徳上皇の霊を慰めるため、後白河法皇の命により創建された光明院観勝寺が当社の始れんまり。江戸期に蓮げ華もち当院の初代僧正が以ごうことから頼政が合DATA ?075-561-5127料時休参拝自由(絵馬館は休月曜休料500円時10時~16時)し祀光院の配下となり、ひとおう仁王の遺児であったされたと伝わる。平清盛が火葬された葬送の地ろくどうちんこう六道珍皇じ寺臨済宗建仁寺派の寺院。境内には、閻おののたかむら魔大王と通じていた小野篁が冥界に通ったとされる井戸があり、篁と閻魔大王の木像が安置されている。当地はかつて「六道の辻」と呼ばれる葬送の地であった。清盛だの遺体が荼び毘に付された火葬地も、この付近にあったと考えられている。DATA ?075-561-4129料時休参拝自由(本尊・寺宝拝観料500円)時9時~16時休12/28~31源義朝の曾祖父・頼義が創建したわかみやはちまんぐうしゃ若宮八幡宮社より天喜元年(1053)、源頼ごが後れい冷よし義ぜい泉天皇の勅令を受け自邸内に創建したと伝えられおうる。主祭神は、応ちゅう仲あい哀じん天皇、神ぐう功じん神天皇、皇后。頼よしとも義は義朝の曾祖父に当たることから、当社は源氏の氏神とされ、建久元年(1190)、頼朝が初めて上洛した際にも参拝している。DATA ?075-561-1261料時休参拝自由41