平清盛伝京都源平地図本

平清盛伝京都源平地図本 page 13/26

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西行・平康頼らの供養塔があるそうりん雙林じ寺かん延暦24年(805)、桓む武天皇の名によりさいちょ最澄が創建したとされる天台宗の寺院。清さいぎょう盛と同い年の歌人・西行や、後白河法皇やすの近臣で、鹿ヶ谷事....

西行・平康頼らの供養塔があるそうりん雙林じ寺かん延暦24年(805)、桓む武天皇の名によりさいちょ最澄が創建したとされる天台宗の寺院。清さいぎょう盛と同い年の歌人・西行や、後白河法皇やすの近臣で、鹿ヶ谷事件に連座した平康とん南北朝の歌人・頓あ阿より、頼いんなどが、この寺で隠せい棲している。境内にはこの3人の墓とされる供養塔が並立している。DATA ? 075-561-5553料志納時8時~16時(本尊開扉は毎月1・8日、第3日曜)建礼門院が出家したちょうらく長楽じ寺延暦24年(805)、勅命を受けた最澄だんのが創建したと伝えられる。壇ノあんで平家が滅んだあと、清盛の娘で安とく皇の母・建礼門院徳こ子うら浦の合戦とく徳天がここで出家したとされる。寺内には、建礼門院の供養ばん塔や、安徳天皇の衣で作られた幡、建礼門院と安徳天皇の画像などがある。DATA ?075-561-0589料500円時9時~17時休木曜休(特別展は無休)木曾義仲の首塚があるけん臨済宗建さいぎょうあん西行庵西行は清盛と同い年で、同じ北面の武士であったが、23歳の時出家した放浪の歌人である。西行の庵はあちこちにあり、この西行庵にある西行堂は、西行が居住したことのあるさいかえんいん蔡華園院の敷地跡に建てられていたが、江戸時代に現在地へ移築されたものといわれる。DATA ?075-561-2754料時休3000円(2名様以上から受付。要予約)にん仁ほうかん法観じ寺じ寺しょう呼ばれる五重塔は、聖西行の住まい跡とされる派の寺院。八坂の塔ととく徳たいし太子の創建とされる。たびたび火災に遭っており、あしかがよしのり現在の塔は足利義教が再建したものである。寺内には木曽義仲の首塚がある。近江国で討たれた義仲の首は都で晒されたあと、ここに埋められたと伝わる。DATA ? 075-551-2417時10時~16時休不定休料400円弁慶、牛若丸最終決戦の舞台と伝わるきよみずでら清水寺えんちん延鎮を開山、坂さかのうえのた上田むら村ま麻ろ呂を本願とする北法相宗の大本山。平安時代こうは興ふく福じ寺の配下にあったため、延暦寺と興福寺の争いに度々巻き込まれ、永万元年(1165)には比叡山の僧兵に乱入され焼失している。弁慶と牛若丸の最終決戦の場ともいわれ、弁慶の足形石や鉄製の杖、下駄などが伝わる。DATA ?075-551-1234時6時~18時休無料300円35