平清盛伝京都源平地図本

平清盛伝京都源平地図本 page 11/26

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藤原忠通、頼長兄弟対立の舞台となったひがしさんじょうどのあと東三条殿址ひ碑東三条殿は、摂関家のよしふさ邸宅として藤原良房によって建てられたと伝えられる。よりなが藤原頼長が所有していた時、彼の留守に後白....

藤原忠通、頼長兄弟対立の舞台となったひがしさんじょうどのあと東三条殿址ひ碑東三条殿は、摂関家のよしふさ邸宅として藤原良房によって建てられたと伝えられる。よりなが藤原頼長が所有していた時、彼の留守に後白河天皇の軍がこれを接収し、頼長とただみち対立する頼長の兄・忠通らとともに立て籠もった。このことが崇徳上皇側を刺激し、保元の乱が勃発した。ヘルシーおばんざいが食べ放題しぜんは自然派レストランおばんざい無農薬の有機野菜や玄米を中心とした、ヘルシーなおばんざいのバイキングが楽しめる。昼は10種、夜は20種から好きなだけ選ぶことができる。定番のお惣菜のほか、カツやカレーなども揃う。昼は840円(土・日曜、祝日は1050円)、夜は2100円とリーズナブル。DATA ? 075-223-6623営11時~14時、17時~21時休水曜の夜平治の乱の舞台となった後白河上皇の御所寝殿造の建物や池を備えていた鳥羽法皇の住まいさんじょうからすま三条烏丸小督局の髪で作った真言のあるびょうどう平等じ寺因幡堂や因幡薬師の名で親しまれ、本尊やくの薬さんじょうひがしどの三条東殿し師にょ如らい来ご御しょあと所跡像は頭巾を被った独特の姿をしている。後年、高倉天皇から平等寺という寺ひ碑三条烏丸御所は、堀河、鳥みつ羽両天皇の乳母・藤原光こ子の邸宅であった。引き継いだ光さねよし子の子の藤原実能が鳥羽法皇に献上し、以来法皇の御所となった。昭和62年に発掘調査が行われ、寝殿造の建物のほか池や大小の景石を配置した庭園を備えていたことが明らかになった。い遺し址ひ碑いえみち三条東殿は、もと藤原家通の邸宅であったが、白河法皇がこの地を得て院の御所としとた。法皇の死後は鳥たい待けん賢もん門ば羽上皇といん院の、さらには後白河上皇の御所となった。平治の乱では、源義朝が500余騎を率いてここを襲撃し、後白河上皇を連れ出し二もに幽閉した。にじょう条天皇ととかし名が下賜され、天皇こごうのつぼねもうはつが愛した小督局の琴や、彼女の髪で作ったとされる「毛髪おりこみこうみょうしんごん織込光明真言」などが寺宝として伝わる。DATA ?075-351-7724料500円時10時~16時休不定休25