平清盛伝京都源平地図本

平清盛伝京都源平地図本 page 10/26

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保元・平治の乱の舞台となった04烏丸御池からすまおいけほうげん保元の乱における後白河天皇側の拠点、高松殿の鎮守へいじよしとも社であった高松神明神社のほか、平治の乱で義朝が襲撃した後白河法皇の御所・三条東....

保元・平治の乱の舞台となった04烏丸御池からすまおいけほうげん保元の乱における後白河天皇側の拠点、高松殿の鎮守へいじよしとも社であった高松神明神社のほか、平治の乱で義朝が襲撃した後白河法皇の御所・三条東殿の跡碑などがある。また、いなば因幡堂と呼ばれる平等寺は、高倉天皇ゆかりの寺だ。藤原頼長白河上皇の里内裏で、高倉天皇が即位したわらの原かんいんだい閑院内り裏あと址ひ碑ふじ閑院は、平安初期に藤ふゆつぐ冬嗣が自邸として建設したもので、のちに藤原きんすえ公季の所有となり、以降閑院家として公季の子孫に引き継がれた。その後、がいせき閑院家が天皇の外戚となったため、白河上皇や堀河天皇が里内裏に使用したほか、高倉天皇がここで即位し、閑院内裏と呼ばれた。高松殿内にあった鎮守社たかまつしんめいじんじゃ高松神明神社高松殿内に祀られていた高松明神が始まり。平治の乱の混乱時に焼失し、室町時代になって高松神明宮宝性院として再建されている。境内にある地蔵尊は、もと紀州くどやまさなだ九度山の真田庵にあったとされ、関ヶ原のゆきむら合戦で敗れた真田幸村が日々拝んでいたといわれる。DATA ?075-231-8386料休参拝自由時9時~18時保元の乱で後白河天皇側の拠点となったたかまつどのあと高松殿址ひ碑だいご高松殿は、平安時代初期に醍醐天皇の皇みなもとのたかあきら子・源高明の御所として建てられたもの。その後、後白河天皇がここで即位し里内裏となった。保元の乱では、後白河天皇側の本拠地とすなり、清盛や義朝が兵を集め、崇とく徳上皇側の本拠地であった白河北殿に攻め込んでいる。町家で味わう京料理とデザートきょうりょうり京料理ふじ藤もと本ころもだな三条衣棚の路地奥の京料しゅうはく理屋。高台寺の「修伯」で修業した主人・藤本さんによる京料理のコースは昼3045円~、夜5250円~。丸い岩の形をした器など、一風変わった演出も楽しい。食後のデザートは、6品ほどの中から好きなだけ選べる。DATA ? 075-211-9105営12時~13時30分(入店終了)、18時~20時(入店終了)休水曜休24