軍師官兵衛戦跡地図本

軍師官兵衛戦跡地図本 page 4/22

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岡山山口 広島佐賀福岡大分長崎熊本鹿児島 宮崎島根鳥取高知 徳島香川愛媛長門周防安芸 備後伊予土佐 阿波讃岐備中出雲 伯耆美作石見豊前肥前築前豊後築後肥後日向大隈薩摩福岡P77中津P79広島城P71友泉亭庭園P77香川P74備中高松P70P69瀬戸内市根白坂城井谷城宇留津城小倉城福光城月山富田城吉田郡山城植田城十河城高知城藤尾城備前沼城宮路山城/鍛冶山城/冠山城鴨城岩倉城名護屋城22 黒田官兵衛の生きた、激動の戦国時代支配した。10 月には朝廷から将軍宣下を受けて、義昭を第15 代将軍に就任させる。この「足利幕府再興」により、戦国時代の様相が変わった。信長は義昭の名で四方の大名へ命令を発布、天下布武の道を歩み始める。 この頃になると、信長の動きに関連して各地方の豪族も統一への道を歩み始める。北条氏、徳川氏、武田氏、上杉氏、毛利氏などである。12 月には三河の徳川家康は遠とおとおみ江に、甲か斐いの武田信玄は駿する河がに侵攻。三好三人衆は、信長が一時去った京に進出するも追い払われた。信玄の駿河進攻に怒る北条氏は、上杉氏と同盟する。これらの全国の大名は信長派か反信長派に分かれて争うことになる。官兵衛の播はり磨まの国くにでもその余波を受け戦いが勃発した。 その後、将軍足利義昭の御内書で、比叡山、本願寺、武田信玄、上杉謙信、朝倉義よし景かげ、浅井長政、松永久秀、三好三人衆、毛利輝元ら反信長派が、それぞれの思惑で結集して信長包囲網を築き上げたが各個撃破を受け崩壊、将軍義昭は京を追われた(幕府という形態はこの後、備びん後ごの鞆ともに細々と続く)。本願寺も信長に反発、全国の一向一揆を動員して10 年間にわたり抗戦する(石山合戦)。信長はこれらの敵を打ち破り、天正10 年(1582) 永禄11 年(1568)9 月、尾張国の織田信長が足利義よし昭あきを奉じて上洛し、摂津衆・三好三人衆を攻略、五畿内及びその隣国を織田信