軍師官兵衛戦跡地図本

軍師官兵衛戦跡地図本 page 3/22

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3ち、和歌や学問にのめり込む文学少年に変貌していった。もっとも、彼の母方の祖父である明石正風は、五摂家の一つ、近衛家の歌道の師範を務めていたから、官兵衛にも元来文人の気質が備わっていた....

3ち、和歌や学問にのめり込む文学少年に変貌していった。もっとも、彼の母方の祖父である明石正風は、五摂家の一つ、近衛家の歌道の師範を務めていたから、官兵衛にも元来文人の気質が備わっていたのかもしれない。 人が変わったように日々部屋に引き籠もり、ひたすら和歌づくりに没頭する官兵衛に、彼の学問の師である円満という僧が、ある時見かねて意見した。 「戦国の世にあっては、和歌よりも武芸を学ぶことが先決。もしも敵に攻められて、それを防げなければ元も子もない。物事には順序というものがある。よくよくお考えなされ」と。その諫言が効いたのか、官兵衛は、再び武芸に身を投じるようになり、17 歳の時、父・職隆に従って近在の土豪を討伐し、初陣を飾る。また、この頃元服して諱を「孝よし高たか」とした。その後、22歳で家督を継ぎ、志方城主・櫛くし橋はし伊い定さだの娘・光てる姫ひめ(当時15 歳)と結婚。翌年長男・松寿丸(のちの長政)を授かっている。廣峯神社(地図P64) 福岡郷跡に立つ「福岡の市跡」碑(地図P69)近江国黒田村跡にある黒田家御廟所(地図P50)