維新年表帖下巻

維新年表帖下巻 page 9/30

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29尊王攘夷、開国、佐幕派 その顛末を集めた 維新年表帖 下巻10/22【12/2】松平春嶽(前越前福井藩主)(1828~1890)、薩摩藩士高崎猪太郎(五六)に長州処分は寛大にすべきこと、幕府は「天下公共の理」に基づ....

29尊王攘夷、開国、佐幕派 その顛末を集めた 維新年表帖 下巻10/22【12/2】松平春嶽(前越前福井藩主)(1828~1890)、薩摩藩士高崎猪太郎(五六)に長州処分は寛大にすべきこと、幕府は「天下公共の理」に基づき速やかに「私」を脱却すべきだと語る。297110/23【12/3】長州藩家老根来上総かずさ(帯たて刀わき、親ちか祐すけ)(1816~1892)、入京しないまま山口着。297210/24【12/4】長州藩士村田蔵六(大村益次郎)(1824~1869)、この月、萩へ帰国し、この日、手当防御事務用掛に任命される。297310/24【12/4】三条実美が、山口に着く。297410/25【12/5】長州藩七卿用掛・佐世一誠(のちの前原一誠)、六卿に面会し、明日の引っ越しについて打ち合わせ。297510/25【12/5】薩摩藩と英国の間で薩英戦争の賠償交渉が成立。英国は仏国との世界政策の対抗上、薩摩藩の軍事力に注目し積極的に支持。297610/26【12/6】三条実美を除く五卿が、居住場所を三田尻茶屋招賢閣から興隆寺氷上山真光院へ移す。波多野金吾(のちの広沢真臣)(1834~1871)、長州萩藩の当所及び湯田の掛役人として七卿に挨拶。山口政府は六卿を諸国浪士が集る中に置くことは危険であるとし、浪士等がみだりに六卿に謁見することを禁じた。297710/26【12/6】周防岩国領主吉川経幹(監物)、進発論に不同意として山口に赴かず。痔を理由に長州藩奥番頭・高杉晋作に会わず。297810/27【12/7】三条実さね美とみ(1837~1891)、湯田の草刈屋敷(藩士草刈藤太郎の邸)に居住場所を移す。邸は会合または会議をするのに狭いので近くの井上五郎三郎(井上馨の実兄・光遠)の邸(馨の実家)の一部に十二畳の一室を増築し、ここを三条の寓居とした。297910/27【12/7】長州藩主毛利慶親(敬親)、家老井原主かず計え(1816~1867)に入京・嘆願(周布政之助の書いた奉勅仕末)提出を言い含める。八月十八政変で朝廷から追放され、入洛禁止となった長州藩は、申し開きをさせてほしいと「奉勅始末」と称する一書を作成した。298010/27【12/7】守護職松平容保批判の張り紙。298110/28【12/8】周布派の政敵・長州俗論派の坪井九く右え衛門もん(1800~1863)、一部の過激尊攘派により死罪が言い渡され、野山獄で処刑される。享年64。妻や子の竹槌夫婦が羽島訪問したことを「結党強訴」の罪に問われた。長男は遠島。孫は士分剥奪・城下追放。298210/28【12/8】孝明天皇(1831~1867)、「8・18政変以来、意のままにならないので三条実美に伝えよ」「天下のことを三条実美に委任したい」と言ったという風説を否定する宸翰を中川宮( 尹いんの宮みや)(1824~1891)へ出す。298310/29【12/9】将軍家茂上洛に関する再度の朝命を、京都守護職松平容保に付与。298411/1【12/11】幕府、生麦事件の償金三十万両(10万ポンド)を英国へ支払う。298511/1【12/11】薩摩藩、生麦賠償金七万五千両(2万5千ポンド)を支払う。2986西暦1863