維新年表帖下巻

維新年表帖下巻 page 28/30

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48元治1 4/18【5/23】島津久光(薩摩藩国父)(1817~1887)、後事を西郷吉之助に託し京都発帰藩の途に就く。32444/19【5/24】山県小助(狂介、有朋)(1838~1922)、上方進発に反対し、奇兵隊総管を辞めさせら....

48元治1 4/18【5/23】島津久光(薩摩藩国父)(1817~1887)、後事を西郷吉之助に託し京都発帰藩の途に就く。32444/19【5/24】山県小助(狂介、有朋)(1838~1922)、上方進発に反対し、奇兵隊総管を辞めさせられる。32454/19【5/24】形勢視察の、長州藩の来島又兵衛・桂小五郎・寺島忠三郎・久坂玄瑞ら12名、大坂藩邸に参集。世子毛利定広(元徳)の率兵上京を議す。32464/19【5/24】幕府、禁裏守衛総督・守護職・所司代に、市中巡邏・警衛を命じる。32474/19【5/24】松平春嶽(前越前福井藩主)、退京。多くの公武合体派の諸侯が離京し、京都は幕府の天下となる。32484/-【5/-】芥川義天、三国管嶺ら西本願寺系の僧侶、熊毛郡田布施村に「僧錬隊」を設立。円立寺が屯所であった。11月、資金難により僧錬隊解散。32494/-【5/-】長州藩家老(国元留守居役)・益田右衛門介(親ちか施のぶ)(1833~1864)、諸隊を各地に視察。32504/20【5/25】朝廷より幕府への庶政委任(政令帰一)の勅書及び重要事項4ヶ条(横浜鎖港・海岸防御・長州処分の幕府一任・物価安定)に関する勅書(「無謀之攘夷は不可」)。同時に、朝廷尊奉18ヶ条の奏聞への沙汰もある。32514/20【5/25】「容保再任」。幕府、松平容保の守護職辞表を再度却下。32524/21【5/26】中川宮(1824~1891)、国事扶助を辞退。32534/22【5/27】松平容保、守護職の請書提出。32544/22【5/27】長州藩士吉田稔麿(1841~1864)、有吉熊次郎(1842~1864)と共に、京都・江戸に派遣される。32554/23【5/28】第三代奇兵隊総管(督)・赤禰武人(1838~1866)、奇兵隊全員の士分取り上げにつき、政事堂に願書を提出。百姓・町人の士分格申請であり、武士の支配の世の中に風穴を開けようとした。32564/23【5/28】七卿の錦小路頼より徳のり(1835~1864)、赤間関(下関)で病死。享年30。25日とも27日ともいう。3月26日、六卿は赤間関(下関)砲台を巡覧しようとして馬で湯田を発した。佐々木男お 也なり(1836~1893)らがこれに随行し、精鋭隊その他60人の兵が護衛。山中の駅に至ったとき突然錦小路が喀血。駕籠に乗って赤間関(下関)に行き、白石正一郎邸に入って静養していた。32574/23【5/28】一橋家臣平岡円四郎(1822~1864)、福井藩士中根雪江(1807~1877)から、市中潜伏の「暴人」決起に対する警備体制を問われると茫然として老中に言上すると述べる。32584/24【5/29】幕府、京市中警備徹底の町触れを出す。32594/25【5/30】幕府、兵賦督責令を発布。3260西暦1864