維新年表帖下巻

維新年表帖下巻 page 27/30

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47尊王攘夷、開国、佐幕派 その顛末を集めた 維新年表帖 下巻4/10【5/15】近衛邸に春嶽・宗城・久光ら参集。議奏の急速鎖港主張、長州藩の藩主父子の上京願・七卿帰京復職要請を議す。32254/10【5/15】長州藩遊....

47尊王攘夷、開国、佐幕派 その顛末を集めた 維新年表帖 下巻4/10【5/15】近衛邸に春嶽・宗城・久光ら参集。議奏の急速鎖港主張、長州藩の藩主父子の上京願・七卿帰京復職要請を議す。32254/10【5/15】長州藩遊撃軍・来島又兵衛(1817~1864)、単身京都潜入。32264/11【5/16】高杉晋作、吉田松陰との思い出を「獄中手記」に書く。32274/11【5/16】京都所司代稲葉正邦(山城淀藩主)(1834~1898)の老中任命と伊勢桑名藩主・松平定さだ敬あき(1847~1908)の京都所司代任命。32284/11【5/16】前伊予宇和島藩主伊だ達て宗むね城なり、退京。32294/12【5/17】長府藩砲兵隊が結成される。32304/12【5/17】備前藩主池田茂もち政まさ、退京。32314/13【5/18】長州藩主毛利慶親(敬親)、家老らを因幡・津和野・備前に派遣し、攘夷応援を依頼し、1月27日の勅諚に関する藩論を質させる。32324/13【5/18】正使清水清太郎(親ちか知とも)(国元加判役)(1843~1865)、副使中村九郎(道太郎)(1828~1864)、因幡藩・備前藩に向かい、長州藩の立場をに力説する。32334/13【5/18】長州藩主毛利慶親(敬親)、宍戸左馬之介(九郎兵衛、真ま 澂すみ)(1804~1864)を大坂に派遣。32344/13【5/18】久留米藩浪士淵上郁太郎(1837~1867)、上京。32354/15【5/20】長州藩士野村靖(和作、入江九一の弟)(1842~1909)、吉田稔麿(1841~1864)、京から帰国。32364/15【5/20】桂小五郎(1833~1877)・寺島忠三郎(1843~1864)・来島又兵衛(1817~1864)、長州藩大坂藩邸に到る。32374/15【5/20】肥後藩主弟・長岡護もり美よし(1842~1906)、退京32384/16【5/21】奇兵隊狙撃隊長・藤村英熊(1839~1865)、「藤村太郎」と改名。32394/16【5/21】禁裏御守衛総督一橋慶喜・幕閣、連署して、庶政委任を含む尊奉18か条及び供御15万俵増貢を奏聞。32404/17【5/22】長州藩京都留守居役・乃美織江(1822~1906)、直目付・桂小五郎(木戸孝允)(1833~1877)を伴い、議奏正おお親ぎ 町まち三さん条じょう実さね愛なる(1820~1909)に謁し、攘夷親征の朝議回復を議す。32414/18【5/23】桂小五郎(のちの木戸孝允)、長州藩京都留守居役に任命される。乃美織江は、実質、留守居助役へと降格。32424/18【5/23】尊攘派浪士、中川宮の諸大夫・武田相模守(信のぶ発あき)(1823~1889)宅を襲撃。母・従士を殺害。信発は、明治22年1月31日死去。享年67。3243西暦1864