維新年表帖下巻

維新年表帖下巻 page 25/30

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45尊王攘夷、開国、佐幕派 その顛末を集めた 維新年表帖 下巻3/19【4/24】京や大坂に潜伏し、密かに長州藩復権工作の行動を続けていた京都詰の政務座役・久坂玄瑞(1840~1864)、直目付桂小五郎の書状をもち、水....

45尊王攘夷、開国、佐幕派 その顛末を集めた 維新年表帖 下巻3/19【4/24】京や大坂に潜伏し、密かに長州藩復権工作の行動を続けていた京都詰の政務座役・久坂玄瑞(1840~1864)、直目付桂小五郎の書状をもち、水戸藩士山口徳之進(正定)(1843~1902)と共に京都より山口に帰る。上国の形勢を報告された、藩主父子は、重臣らと議して大挙上京は、延期となる。31983/20【4/25】佐世一誠(のちの前原一誠)(1834~1876)、長州藩赤間関都合役に任じられ、赤間関(下関)に赴任。31993/21【4/26】松平春嶽(前越前福井藩主)、京都守護職辞表を幕府に提出。32003/22【4/27】伊だ達て宗むね城なり、近衛家で中川宮・島津久光と集会。慶喜の任命熟慮を入説。中川宮・近衛忠ただ熙ひろ前関白、慶喜への懸念から松平春嶽留任を希望。32013/23【4/28】幕府、守護職・町奉行・新選組に市中守衛を命じ、諸藩の警衛を廃止する。32023/25【4/30】長州藩、帰藩した久坂玄瑞(1840~1864)に上京命じ、来島又兵衛(1817~1864)ら10名を同行させる。久坂玄瑞、再び山口を出立して大坂に向かう。藩命を待たずに随従する者、50余人となる。山口政事堂では来島が乱暴をしてはならぬと藩主の親書を大坂藩邸の留守居役・宍戸九郎兵衛(左馬之介、真ま 澂すみ)に遣した。32033/25【4/30】再脱藩の高杉晋作(1839~1867)は、この日、山口に入る。直目付桂小五郎(のちの木戸孝允)(1833~1877)らの命で、藩世子近侍の山縣甲之進・岡部繁之助(1842~1919)らの大坂への派遣・説得である。32043/25【4/30】朝命により、一橋慶喜の将軍後見職解任、禁裏守衛総督・摂海防御指揮職就任が決まる。32053/26【5/1】三条実美ら六卿、従士ら100余人を連れて赤間関(下関)視察に出発。32063/27【5/2】三条実美ら、竹崎の白石正一郎邸に入る。32073/27【5/2】「天狗党の乱、起こる―3月27日~12月17日」。水戸藩士藤田小四郎(藤田東湖の子)(1842~1865)、田丸稲之衛門、岩谷敬一郎、竹内百太郎ら尊王攘夷過激派63名、勤王のための義挙という大義で、筑波山で挙兵。水戸藩は尊王攘夷の本家。しかし、長州藩に立場を譲るような状況になっていた。32083/28【5/3】三条実美ら、前田砲台、壇之浦砲台、彦島の諸砲台を視察し、阿弥陀寺で安徳帝墓に拝礼する。32093/28【5/3】長州藩主毛利慶親(敬親)、家老・末家の入京を朝幕に請う。また、三条実美らの復職・藩主父子いずれかの上京を朝廷に請う。32103/29【5/4】高杉晋作(1839~1867)、特別の詮議をもって脱藩の罪により家禄没収・野山獄に投獄される。32113/29【5/4】幕命を受けた佐久間象山(1811~1864)、信州山代より入洛。32124/1【5/6】六卿ら、彦島の福浦・田の首・弟子待砲台、金毘羅砲台を視察する。奇兵隊陸地台場掛・藤村英熊(藤村太郎)(1839~1865)は、狙撃隊30人を率いて護衛に当たる。3213西暦1864