維新年表帖下巻

維新年表帖下巻 page 22/30

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42元治1 2/24【3/31】大坂で横浜貿易商が暗殺される。31482/24【3/31】備前岡山藩主池田茂もち政まさ(慶喜異母弟)(1839~1899)、入京。31492/24【3/31】朝廷による長州藩末家・家老の大坂召命を決定。3150....

42元治1 2/24【3/31】大坂で横浜貿易商が暗殺される。31482/24【3/31】備前岡山藩主池田茂もち政まさ(慶喜異母弟)(1839~1899)、入京。31492/24【3/31】朝廷による長州藩末家・家老の大坂召命を決定。31502/24【3/31】長州藩は、それまでの兵学寮を兵学校とし、村田蔵六(大村益次郎)(1824~1869)は、この日、兵学校教授役となり、藩の山口明倫館で西洋兵学を講義。4月には洋式陸軍士官養成総責任者となる。31512/24【3/31】この日、福原又市を惣督とする隊を「干城隊」と称す。31522/24【3/31】来島又兵衛(1817~1864)の長州藩遊撃軍に、進発令が下る。31532/25【4/1】朝幕、訊問のため長州藩支族・家老ら3名の「御用」を理由とした大坂召命を通達。31542/26【4/2】幕府、在京諸侯を二条城に召し、国是を諮問。31552/26【4/2】「加徳丸事件(上関事件)」。長州義勇隊士に焼き打ちされた薩摩藩船加徳丸船頭の大谷仲之進が、大坂で梟首される。傍らに斬奸状と義勇隊士水井精一・山本誠一郎の割腹した遺体(久坂玄瑞らの強要)。事件は、薩摩藩士を激昂させ、同藩の長州藩に対する不信と憎悪を増幅させた。31562/27【4/3】京の筑前藩世子・黒田慶よし賛すけ、長州藩末家・家老等を大坂ではなく京都に召喚して訊問することを建議。31572/27【4/3】因幡藩主池田慶徳、攘夷の速やかな実行・長州処分寛大を幕府に建議。31582/27【4/3】備前藩主池田茂もち政まさ(慶喜異母弟)(1839~1899)、勅使を長州に派遣して藩主毛利敬親を説諭し、三条実美らを京都へ召還して寛典に処し、以前長州藩が提出した奉勅始末を朝廷に留めるよう建議。31592/27【4/3】2月15日新任の京都東町奉行小栗政まさ寧やす(相馬尚之助胤富)(1816~1899)、洛内外の「暴徒」捕縛を命令。31602/28【4/4】前土佐藩主山内容堂、病を理由に、京から帰国の途に就く。31612/28【4/4】筑前藩世子は、長州藩支族・家老らの京都召命を建議。31622/28【4/4】備前藩主は、長州藩主父子の処分寛大を幕府に建議。31632/29【4/5】朝廷、長州藩支族・家老等の大坂召命一時見合わせ決定。31642/29【4/5】長崎の勝海舟(1823~1899)、長州処分寛大の建議を認めた書を送る。31653/1【4/6】三条実美、水野丹後(正まさ名な )(久留米藩士)(1823~1872)・真木和泉(保臣)(1813~1864)らを従え、長州藩主父子を訪問。31663/1【4/6】長州藩主は、筑前藩世子・備前藩主の使者を引見。3167西暦1864