維新年表帖下巻

維新年表帖下巻 page 2/30

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2 嘉永6年(1853)6月の「黒船来航」から明治維新までを「幕末」と呼んでいる。 何と220年続いた鎖国が止められる。 天皇を尊び政治の中心とする尊王と、外国を追い払う攘夷とが結びついた思想「尊王攘夷」が台頭....

2 嘉永6年(1853)6月の「黒船来航」から明治維新までを「幕末」と呼んでいる。 何と220年続いた鎖国が止められる。 天皇を尊び政治の中心とする尊王と、外国を追い払う攘夷とが結びついた思想「尊王攘夷」が台頭、開国に対する不安や不満が増えるにつれて幕府に反対する運動に発展する。この倒幕派と対比するために佐幕派も台頭。日本は上から下まで、それぞれの立場で運動を繰り広げる。 この本は倒幕運動、佐幕派の動きを追った年表帖です。 特に西国の雄藩長州藩については、藩政の動向、支藩等の動き、長州にまつわる事件、藩士のプロフィールも充実させました。長州藩中心のストーリー。 幕末期には、桂小五郎・高杉晋作・伊藤博文・山県有朋・井上馨・吉田稔麿など幾多の志士たちが時代を動かし奔走した。 彼らは尊攘思想を展開して京都を動かした。公卿にも同調者が出て、攘夷親征を唱えるようになり、尊攘思想が一挙に時代の華となった。 「池田屋事件」怒る長州藩は、強硬派が台頭、久坂玄瑞・来島又兵衛らは藩軍を率いて上洛し、幕府軍らとにらみ合う。この「禁門の変」にて、長州藩は敗北、久坂ら優秀な人材を京都にて失う。 さらに欧米列強による下関戦争にて、再度の敗北、完全に孤立無援となり、藩論は尊攘から佐幕恭順へと転化。「第一次征長戦」にて、完全に屈服させられる。 が、その後、高杉晋作と奇兵隊ら諸隊の蜂起で尊攘思想はよみがえる。高杉らによる藩内革命により、改革派が再び藩政を牛耳ると「尊攘思想から開明尊皇」の思想に転化させて、富国強兵策を展開した。そして、その思想により、天皇制の政府機関が構想され、幕府は余分な機関として排除の対象と成り、ついに倒幕思想が生まれる。それは、京都で政局を握っていた公武合体による合議制が失敗に終ったことも手伝って、大いに注目を集めるようになり、窮した幕府は、「第二次征長戦」をはじめる。 この「四境戦争」(第二次征長戦)に勝利した長州藩は、倒幕思想を展開し、岩倉具視・三条実美ら公卿と協力して、討幕の勅許を得る。だが、討幕の勅許と同時に幕府が大政奉還を成す。しかし、それも薩摩の西郷吉之助の策略により、はじめに