維新年表帖下巻

維新年表帖下巻 page 17/30

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37尊王攘夷、開国、佐幕派 その顛末を集めた 維新年表帖 下巻1/18【2/25】この日大坂に着いた桂小五郎(1833~1877)、対馬藩の大島友とも之の 允じょう(1826~1882)に報せ、すでに長州藩士の取締りが厳しかっ....

37尊王攘夷、開国、佐幕派 その顛末を集めた 維新年表帖 下巻1/18【2/25】この日大坂に着いた桂小五郎(1833~1877)、対馬藩の大島友とも之の 允じょう(1826~1882)に報せ、すでに長州藩士の取締りが厳しかったので対馬藩士を名乗って、京都の対馬藩邸に潜伏。30921/21【2/28】長州藩士桂小五郎、藩の要路に対し、久坂玄瑞及び奇兵隊士の上京不可の書を差し出す。小五郎の目的は徳川幕府を是認する公武合体派に対抗する諸藩連合を結成することにあった。それにはまだ機運が熟していない倒幕を口にしてもかえって不利な状況を招くので、攘夷のみを名分に掲げて味方を増やすしかないと考えていた。30931/21【2/28】将軍家茂参内。将軍後見職慶喜扈従。宸翰(内諭)を受取る。最近の情勢は天皇に非があること、天皇と家茂との親睦が天下挽回に重要であること(朕汝を愛すること如子、汝朕を親むこと父の如くせよ)、無謀の攘夷は好まず、幕府で議論した結果に基づき一定不抜の国是を定めたいこと、容保・春嶽・宗城・久光との協力を望むこと。(実は草稿は薩摩藩)。30941/22【2/29】三条実美(1837~1891)、水野正まさ名な(久留米藩重臣)(1823~1872)・土方久元(1833~1918)・真木和泉(保臣)(1813~1864)・宮部鼎蔵(1820~1864)と議する。30951/24【3/2】高杉晋作(1839~1867)、長州藩重役麻田公輔(周布政之助)(1823~1864)の命で、来島又兵衛の遊撃軍の京都進発を押さえるため、宮市(現・山口県防府市)へ乗り込む。藩主・世子の命で進発論の遊撃隊鎮静の親書を来島又兵衛に渡して説得(26日まで説得するも、来島聞き入れず)。30961/24【3/2】二条城参預会議。この日~2月8日まで続く。中川宮朝彦(1824~1891)、関白二条斉なり敬ゆき(1816~1878)、将軍後見職一橋慶喜(1837~1913)、松平春嶽(前越前福井藩主)(1828~1890)、伊だ達て宗むね城なり(前伊予宇和島藩主)(1818~1892)、山内容堂(前土佐藩主)(1827~1872)、島津久光(薩摩藩国父)(1817~1887)、京都守護職松平容かた保もり(1836~1893)、政事総裁職松平直なお克かつ(武蔵川越藩主)(1840~1897)、老中水野忠ただ精きよ)(出羽山形藩主)(1833~1884)が参加。議題は、長州藩処分問題(島津久光は長州討伐と藩主召還を主張)、横浜鎖港問題(慶喜は鎖港実行を主張、島津は鎖港反対を主張。一橋慶喜は、鎖港を希望する孝明天皇の信任を独占することに成功する。3097西暦1864二条城(京都市中京区)