維新年表帖下巻

維新年表帖下巻 page 15/30

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35尊王攘夷、開国、佐幕派 その顛末を集めた 維新年表帖 下巻12/24【2/1】「長崎丸事件」。長州藩、薩長合意通過規則があるにもかかわらず、赤間関で異国船襲撃と偽り、薩摩船「長崎丸」を前田砲台から砲撃、長崎....

35尊王攘夷、開国、佐幕派 その顛末を集めた 維新年表帖 下巻12/24【2/1】「長崎丸事件」。長州藩、薩長合意通過規則があるにもかかわらず、赤間関で異国船襲撃と偽り、薩摩船「長崎丸」を前田砲台から砲撃、長崎丸は炎上して沈没。死者30名余り。海峡で薩藩の長崎丸へ最初の一発を撃ったのは、林半七(友幸)(1823~1907)という。(半七は、長命して維新談話を残している)。同船は幕府の長崎製鉄所の所属だったのを薩摩藩が借用していたもの。薩摩藩士宇宿彦右衛門(1820~1864)、死去。この事件が薩摩藩の京都藩邸に伝えられると、藩士たちは激高し、長州藩邸を襲撃しようとしたが、島津久光(薩摩藩国父)に制止された。長州藩も薩摩藩と事を構えるのは不利と判断し、すぐさま謝罪使を鹿児島に派遣。それにより、事態はなんとか鎮静化したが、この事件は翌元治元年の薩長激突の予兆となる。306512/24【2/1】遊撃軍総督来島又兵衛(1817~1864)、遊撃軍所属の萩野隊に彦島出張を命ずる。306612/25【2/2】中岡慎太郎、三田尻の志士の集まり招賢閣会議員(招賢閣にいる七卿らの家士や脱藩浪士のまとめ役)に推任される(11月25日とも)306712/25【2/2】二条城にて初の有力諸侯会議。将軍後見職徳川慶喜、武家を議奏に加えんと議す。306812/27【2/4】慶喜・春嶽、将軍長期滞在の必要性を語る。306912/27【2/4】将軍家茂(1846~1866)、江戸を出立。307012/28【2/5】朝廷より上洛の命で、前土佐藩主山内容堂、上洛。307112/28【2/5】将軍家茂、再度上洛のため翔鶴丸で品川を出港。幕府諸藩連合艦隊(計12隻)。307212/29【2/6】「第二次文久遣欧使節団(横浜鎖港談判使節団)」。正使池田長なが発おき、副使河津祐すけ邦くにら34名、仏国軍艦ル・モンジュ号で横浜を出港。307312/30【2/7】「参預会議成立」。将軍後見職一橋慶喜(1837~1913)・雄藩諸侯(松平春嶽、伊達宗城、山内容堂、松平容保)、朝議参預に任ぜられる。翌年1月13日朝議参預に任ぜられた、島津久光の目論見が成功した。3月9日、崩壊3074西暦1864藤森神社(京都市伏見区)