維新年表帖下巻

維新年表帖下巻 page 13/30

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33尊王攘夷、開国、佐幕派 その顛末を集めた 維新年表帖 下巻12/4【1/12】「真忠組、蜂起」。上総山辺郡小関村で真忠組が、鎖港攘夷を唱え、貧民救済、借金裁判などの世直し運動を展開。幕府の動員した関八州農兵....

33尊王攘夷、開国、佐幕派 その顛末を集めた 維新年表帖 下巻12/4【1/12】「真忠組、蜂起」。上総山辺郡小関村で真忠組が、鎖港攘夷を唱え、貧民救済、借金裁判などの世直し運動を展開。幕府の動員した関八州農兵や諸藩兵に攻撃され、元治元年1月17日に壊滅。303512/5【1/13】島津久光(薩摩藩国父)、賢諸侯を議奏にと提議。303612/6【1/14】長州藩、萩の政事堂を廃して山口政事堂一本とする。303712/6【1/14】長州藩手廻組井原主かず計え(親章)(1816~1867)、三度目の入京嘆願。303812/6【1/14】朝廷、浪士処置を呈示。303912/6【1/14】幕府、長州脱藩士の止宿を禁じる。304012/6【1/14】将軍後見職一橋慶喜、将軍上洛を促す上書。「上じょう書しょと」は、臣下から主君・上官に対して意見を記した文書を提出すること、またその文書。上じょう表ひょう文ぶん・言ごん上じょう書がき・表ひょう勘かん文もん・上じょう申しん書しょ・建けん白ぱく書しょなどの別名を持つ。304112/7【1/15】京都守護職松平容かた保もり(1836~1893)ら、将軍後見職一橋慶喜(1837~1913)と共に中川宮擁護の奏そう聞もん書しょを呈出。304212/7【1/15】朝廷、将軍後見職一橋慶喜に水戸藩士統率を委任。304312/8【1/16】朝廷、浪士取締を厳達。304412/11【1/19】京都所司代公用人、伏見の井原主かず計え(親章)(1816~1867)と面談、入京嘆願の請願を受ける。304512/11【1/19】幕府、水戸藩浪人または新徴組などと称し、攘夷の朝旨を曲げて富豪を掠奪し、農民を誘惑するの徒を厳に捕斬せしむるを以て、諸浪士に速やかに旧主に帰参すべきを諭し、また諸藩藩士の旅行には、必ず道中奉行に先触を出し、諸関門は過書を以て通過すべきを命ず。304612/-【1/-】この月、長州藩士雇・山県小助(狂介、有朋)(1838~1922)、抜擢され奇兵隊軍監に就任。304712/-【1/-】小田村文助(のちの楫取素彦)(1829~1912)、長州藩主毛利慶親(敬親)の衣服を調達する小納戸役に就任。さらに奥番頭役配下の書記役書物掛に昇任。304812/-【1/-】長州藩士有福半右衛門( 恂じゅん允すけ)(1831~1876)ら、この月、数回となく平田鉄かね胤たね(1799~1880)・延胤(1828~1872)父子を京都に訪ねて時局を密議し、帰藩後、東北の情勢とくに久保田(秋田)藩の動静を藩主に報告し、献策した。304912/14【1/22】長州藩手廻組・井原主かず計え(親章)、四度目の入京嘆願(口頭言上)。慶喜邸参集の在京諸候、井原の帰国を命ずることを決定。305012/15【1/23】三条実美、萩より三田尻に帰る。3051西暦1864