維新年表帖下巻

維新年表帖下巻 page 12/30

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32文久3 11/25【1/4】長州藩遊撃軍総督・来島又兵衛(1817~1864)、銀五貫目を献上して兵器の下附を願い出る。301811/25【1/4】福原信冬(福原乙之進)(1837~1864)、江戸赤坂の刈谷藩邸内の倉田珪太郎宅で、....

32文久3 11/25【1/4】長州藩遊撃軍総督・来島又兵衛(1817~1864)、銀五貫目を献上して兵器の下附を願い出る。301811/25【1/4】福原信冬(福原乙之進)(1837~1864)、江戸赤坂の刈谷藩邸内の倉田珪太郎宅で、同志と倒幕密議中、下総古河藩主土井利則の捕吏に襲撃され、負傷して自害。享年27。長州藩士。301911/26【1/5】長州藩家老井原主計(1816~1867)、朝廷に入京嘆願。302011/26【1/5】将軍後見職一橋慶喜(1837~1913)、入京、本願寺に館す。302111/26【1/5】京都東町奉行永井尚なお志ゆき(1816~1891)、東下して将軍上洛を説く。幕議、将軍上洛を決定。302211/27【1/6】「精兵隊」発起人の一人、長府藩士有川恒つね槌つち(1846~1864)が、脱藩。302311/27【1/6】井原主かず計え 、伏見に到着。302411/27【1/6】京都守護職松平容保参内、将軍上洛を奏上。302511/27【1/6】幕府、出羽国庄内藩主酒井忠篤、下総結城藩主水野勝知ら、江戸府内警けい邏ら 18藩主に命じる。「浮浪の徒の暴行を発見せば、捕縛に及ばず、直ちにこれを撃殺せよ」。302611/28【1/7】総督来島又兵衛(1817~1864)の「遊撃軍」、付属隊を含め総人員750人に達したことから、武器が不足となり藩に対して弾薬・筒の借用とフランスボート鋳造費用として銀5貫目の献納を要請する。302711/28【1/7】長府藩、功山寺駐屯の精兵隊を解き、「練武場」を功山寺に置く。翌年正月に城内に移す。302811/28【1/7】一橋慶喜・松平春嶽・伊達宗城、会藩公用方秋月悌次郎の強硬意見を容れ、長州藩家老井原主計の入京不可を決める(秋月は伝奏派遣も反対)。302911/29【1/8】松平春嶽、会津藩に同藩士が伏見に赴くことを提案(秋月悌次郎、会津・長州の関係を理由に固辞)。3030- この年春から建設がはじまった「グラバー邸」完成。母屋の屋根裏には隠し部屋が作られ、そこに幕吏や刺客に狙われる薩摩藩の五代才助(友厚)や長州藩の桂小五郎を匿ったという。303112/1【1/9】伏見の井原主計(親章)(藩主側近の手廻組)(1816~1867)、再び入京嘆願。井原はなんとか入京の機会が得られないか、長州藩京都留守居役・乃美織江(1822~1906)や、その後任として上京していながら大坂に足止めを食っている宍戸九郎兵衛(左馬之介、真ま 澂すみ)(1804~1864)を通じて働きかけをしてもらう。303212/1【1/9】慶喜・春嶽・宗城・久光ら、伏見に送る者を詮議。会藩秋月悌次郎同席。秋月退席後、朝廷執事と所司代家臣派遣を決定。303312/3【1/11】朝廷、長州藩に、伏見に執奏家雑掌を送り、聴取させる旨を達する。3034西暦1864