維新年表帖下巻

維新年表帖下巻 page 11/30

電子ブックを開く

このページは 維新年表帖下巻 の電子ブックに掲載されている11ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
31尊王攘夷、開国、佐幕派 その顛末を集めた 維新年表帖 下巻11/15【12/25】島津久光(薩摩藩国父)、朝廷に永世不抜の基本を立てるよう建白。300611/15【12/25】高杉晋作(1839~1867)、香川半助(1831~1865....

31尊王攘夷、開国、佐幕派 その顛末を集めた 維新年表帖 下巻11/15【12/25】島津久光(薩摩藩国父)、朝廷に永世不抜の基本を立てるよう建白。300611/15【12/25】高杉晋作(1839~1867)、香川半助(1831~1865)と共に、長州藩世子上京用掛となる。300711/15【12/25】幕府、将軍上洛するを以て、水戸藩主徳川慶篤に留守を命ず。300811/16【12/26】孝明天皇(1831~1867)、島津久光(薩摩藩国父)(1817~1887)に密勅21ヶ条を下す。300911/17【12/27】幕府の長州征伐に諸藩反対する。301011/19【12/29】長州藩京都留守居役・乃美織江、再び朝廷に、家老井原主計(1816~1867)の入京許可を請う。301111/19【12/29】会津藩邸に春嶽・宗城・久光ら集会。15日の江戸城火災による将軍上洛延引不可を議決。京都東町奉行永井尚なお志ゆき(1816~1891)の東下を決定。301211/21【12/31】慶喜、大坂城入城。3013西暦1864文久3 11/23【1/2】水戸藩主名代松平昭あき訓くに(1849~1864)、京で死去。勤王の功を称され、11月26日に従四位下に叙せられた。その死は翌元治元年5月11日まで伏せられ、弟の松平昭徳(余八麿。のち民部大輔、徳川昭武)が看護と称して上京することになる。301411/24【1/3】総督来島又兵衛(1817~1864)、付属隊が11隊に増加し、隊員も250余となった故をもって、総名を「遊撃軍」と改名する事を政事堂に申請する。301511/24【1/3】長州の豪農商や村役人主導による農兵隊は、農民の壮丁(成年に達した男子)を教え、武技を習わす。301611/25【1/4】長州藩士吉田稔麿(1841~1864)、東上の藩命を受け、江戸到着。幕臣・妻木多宮(向休)(1825~1891)の仲介で老中板倉勝かつ静きよ(備中松山藩主)に通じ、「朝陽丸事件」陳謝と長幕融和の調停に尽力するが、成功には至らず。しかし、朝廷・幕府はこの幕吏殺害の件を重要視して、長州藩に対して態度を硬直化させた。3017西暦1863松平昭徳(昭武)中根雪江