維新年表帖下巻

維新年表帖下巻 page 10/30

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30文久3 11/1【12/11】松平春嶽(前越前福井藩主)(1828~1890)、薩摩藩士小松帯刀に、長州処分は朝議次第と語る。298711/1【12/11】長州藩京都留守居役・乃美織江(1822~1906)、朝廷に家老井原主計(1816~....

30文久3 11/1【12/11】松平春嶽(前越前福井藩主)(1828~1890)、薩摩藩士小松帯刀に、長州処分は朝議次第と語る。298711/1【12/11】長州藩京都留守居役・乃美織江(1822~1906)、朝廷に家老井原主計(1816~1867)の入京許可を請う。298811/3【12/13】前宇和島藩主伊だ達て宗むね城なり(1818~1892)、入京。298911/3【12/13】京都の筑前福岡藩家老・黒田山城増ます熊くま(1807 ?~1889)、島津久光(薩摩藩国父)(1817~1887)を訪問し、薩長の間、七卿と中川宮(1824~1891)の和解を図ることを提案。299011/4【12/14】毛利敬親、小郡で騎馬隊調練を覧る。六卿も小郡馬寄見物に行く。299111/4【12/14】伝奏より諸藩に、浪士捕縛許可が出る。299211/5【12/15】長府藩、彦島の砲手に農兵を用いる。299311/5【12/15】江戸幕府、上洛の勅書奉承。299411/6【12/16】松平春嶽(前越前福井藩主)(1828~1890)、長州・七卿処分は国是を決定した上で長州・七卿処分あるべきとの島津久光(薩摩藩国父)(1817~1887)の意見に同意する旨を、薩摩藩士高崎猪太郎(五六)に告げる。299511/6【12/16】幕府、長州藩に潜伏藩士取締を命ずる。299611/8【12/18】麻田公輔(周布政之助)(1823~1864)に命じられた長州藩家老井原主かず計え(1816~1867)、入京許可はとれていなかったが、「奉勅仕末」と取調書提出に上京へ向かう。藩命により、久坂らが急遽集めた護衛隊である遊撃隊士、久坂玄瑞・寺島忠三郎・野村和作(靖)・入江九一(杉蔵)ら14名が随行する。299711/10【12/20】松平春嶽(前越前福井藩主)(1828~1890)、勝海舟(1823~1899)に、老中板倉勝かつ静きよ(備中松山藩主)(1823~1889)の上京周旋を依頼。299811/11【12/21】中山忠光(1845~1864)、僧形になり、白石正一郎宅に潜伏。299911/11【12/21】長州藩家老護衛隊の久坂玄瑞(1840~1864)、密かに一人上方へ船で向かう。探索である。300011/11【12/21】幕府、長州訊問の命を佐賀・彦根・小倉の三藩に下す。300111/12【12/22】孝明天皇、朝臣に妄説を信用せぬようにとの沙汰。300211/12【12/22】越前藩士中根雪江、入京。300311/13【12/23】長州藩士吉田稔麿(1841~1864)、政変で失脚した長州藩と幕府の調停のため三田尻を出立、江戸・京都を奔走。300411/-【12/-】相撲取りで組織された「角すもう力隊たい」(勇力隊)が結成される。山脇勝五郎を頭とした長州藩江戸藩邸お雇い大相撲力士と地元の草相撲の力士らにより遊撃隊付属の角力隊として結成された。3005西暦1863