維新年表帖上巻

維新年表帖上巻 page 5/30

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西暦元号旧暦【新暦】出来事掲載頁1825文政8 5/3【6/18】村田良庵(蔵六、大村益次郎)、生まれる。維新の十傑の一人に数えられる。大村益次郎は、明治新政府兵部省における初代の大た輔ゆう(次官)を務め、事実....

西暦元号旧暦【新暦】出来事掲載頁1825文政8 5/3【6/18】村田良庵(蔵六、大村益次郎)、生まれる。維新の十傑の一人に数えられる。大村益次郎は、明治新政府兵部省における初代の大た輔ゆう(次官)を務め、事実上の日本陸軍の創始者という。00011829文政12 3/15【4/18】松島久米次郎(のちの楫取素彦)、生まれる。吉田松陰とは深い仲であり、松陰の妹二人が楫取の妻であった。最初の妻の寿に先立たれた後、久坂玄瑞の未亡人であった松陰の末妹の美和(文)と再婚。00071830文政13天保18/4【9/20】吉田松陰、萩藩下級武士(26石)杉百合之助(常道)の次男として生まれる。母は瀧。夫妻は、長男梅太郎(修道、のちの民治)・次男虎之助(松陰)・長女千代(のち児玉芳子)・次女寿(のち楫取寿子)・三女艶・四女文(文子、のちの楫取美和子)・三男敏三郎の三男四女をもうけた。00121831天保26/14【7/22】煕宮(孝明天皇)、第120代仁孝天皇の第四皇子として生まれる。00188/20【9/25】「長州藩天保の大一揆」。一揆が起き、瀬戸内海沿岸から日本海沿岸の一帯まで波及した。00191833天保4-「天保の大飢饉」。江戸時代後期のこの年に始まり、1835年から1837年にかけて最大規模化した。天保10年(1839)まで続いた。1836年までと定義する説もある。寛永・享保・天明に続く江戸四大飢饉の一つで、寛永の飢饉を除いた江戸三大飢饉の一つ。00276/26【8/11】和田小五郎(桂小五郎、木戸孝允)、生まれる。吉田松陰の弟子、長州正義派の長州藩士、薩摩藩の西郷隆盛・大久保利通と共に「維新の三傑」「維新の十傑」として並び称せられる。その遺族は、華族令当初から侯爵に叙されたが、これは旧大名家、公家以外では、大久保利通の遺族と共にただ二家のみであった。00281835天保66/20【7/15】「松陰が吉田家を継ぐ」。松陰6歳、藩命により、この日、吉田家を継ぎ、「大次郎」を名乗る。00341836天保611/28【1/16】井上馨かおる(長州5傑の一人)、生まれる。00381836天保7 - 全国で天保の大飢饉始まる。1835年から1837年にかけて最大規模化した。00439/8【10/17】長州藩11代藩主・毛利斉元、死去。享年43。00441837天保712/10【1/16】11代毛利斉元の養嗣子・毛利斉広、12代藩主となるも、12月29日に23歳の若さで死去。00451837天保82/19【3/25】「大塩平八郎の乱」起こる。旗本が出兵した戦としては寛永年間に起きた島原の乱以来、200年ぶりの合戦であった。00474/27【5/31】「毛利敬親、藩主に就任」。第12代藩主毛利斉広の養子・毛利教明(のちの敬親)は、この日家督を相続し、長州藩第13代藩主に就任。00516/28【7/30】「モリソン号事件」。米船モリソン号浦賀に出現、無二念打払い令(異国船打払令)により、砲撃を受ける。00529/2【10/1】徳川家慶、第12代将軍となる00539/29【10/28】七郎麿(徳川慶喜)、水戸藩主・徳川斉昭の7男として生まれる。00545目次