維新年表帖上巻

維新年表帖上巻 page 3/30

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3はじめに征を唱えるようになり、尊攘思想が一挙に時代の華となった。大和行幸の予定まで確定した時点で、尊攘思想の絶頂期を迎える。だが、公武合体を目指す公卿・諸藩・幕府が協力し合い、「八月十八日の政変」を....

3はじめに征を唱えるようになり、尊攘思想が一挙に時代の華となった。大和行幸の予定まで確定した時点で、尊攘思想の絶頂期を迎える。だが、公武合体を目指す公卿・諸藩・幕府が協力し合い、「八月十八日の政変」を引き起こすと志士たちは京都を追放され、長州藩も京都を追われる身となった。「七卿落ち」を余儀なくされた尊攘派志士たちは、その後も「天誅組蜂起」や「生野の変」などで巻き返しを図ったが、失敗に終わる。上巻はここまで、以下は下巻で。 「池田屋事件」怒る長州藩は、強硬派が台頭、久坂・来島又兵衛らは藩軍を率いて上洛し、幕府軍らとにらみ合う。この「禁門の変」にて、長州藩は敗北、久坂ら優秀な人材を京都にて失う。 さらに欧米列強による下関戦争にて、再度の敗北、完全に孤立無援となり、藩論は尊攘から佐幕恭順へと転化。「第一次征長戦」にて、完全に屈服させられる。 が、その後、高杉晋作と奇兵隊ら諸隊の蜂起で尊攘思想はよみがえる。高杉らによる藩内革命により、改革派が再び藩政を牛耳ると「尊攘思想から開明尊皇」の思想に転化させて、富国強兵策を展開した。そして、その思想により、天皇制の政府機関が構想され、幕府は余分な機関として排除の対象と成り、ついに倒幕思想が生まれる。それは、京都で政局を握っていた公武合体による合議制が失敗に終ったことも手伝って、大いに注目を集めるようになり、窮した幕府は、「第二次征長戦」をはじめる。 この「四境戦争」に勝利した長州藩は、倒幕思想を展開し、岩倉具視・三条実美ら公卿と協力して、討幕の勅許を得る。だが、討幕の勅許と同時に幕府が大政奉還を成す。しかし、それも薩摩の西郷吉之助の策略により、江戸にて旧幕府側を怒らせ、戦争の火種を誘発させることに成功すると一挙に鳥羽・伏見の戦いへともつれ込んでいく。明治期の元長州藩士たちの動向も充実。この年表(上巻)「その日、その時に何が起きていたのか?」の中、「他の雄藩は、他藩尊攘志士は、開国開明派は、ざわめく朝廷は、振り回される慶喜政権、江戸の幕閣は、何をしていたのか?」。今よみがえるその時。好評、年表帖シリーズ九作目です。