維新年表帖上巻

維新年表帖上巻 page 28/30

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天保13 6/15【7/22】禁門の変(蛤御門の変)の後切腹した三家老の一人、国司信濃(親ちか相すけ)(1842~1864)は、天保13年長州寄組藩士・高洲元忠の次男として現・萩市平ひ安や古こに生まれる。幼名丑之介、徳....

天保13 6/15【7/22】禁門の変(蛤御門の変)の後切腹した三家老の一人、国司信濃(親ちか相すけ)(1842~1864)は、天保13年長州寄組藩士・高洲元忠の次男として現・萩市平ひ安や古こに生まれる。幼名丑之介、徳蔵、熊之助とも称した。6歳の頃、同じく寄組藩士5600石の国くに司し迪みち徳のり(通称は亀之助、将監)の養嗣子となり、弘化4年(1847)9月に家督を継いで大組頭となった。嘉永5年(1852)8月射術を粟屋弾蔵に、剣術を馬来勝平に、安政元年(1854)正月軍学を高橋淳平に、5月馬術を蔵田門之助に学んだ。安政2年元服の折、熊之助朝とも相すけと名を改める。後に願い出て信濃朝とも相すけと改めたが、藩主毛利慶よし親ちかより一字賜り親相と改める。親相は15歳で結婚。万延元年(1860)19歳の4月、給地厚狭郡万倉村で調練を行い、文久元年(1861)7月大組頭役に任ぜられた。同2年(1862)11月、万倉村(現・宇部市)で下関出陣に備え調練を行う。01026/-【7/-】萩藩士浅野小源太、松陰の家学後見を免ぜられる。01036/21【7/28】幕府、アヘン戦争終結後、英国艦隊が開国を迫るとの情報を得る。01047/8【8/13】幕府(長崎奉行)、オランダに薪水給与令を伝える。01057/23【8/28】幕府、「異国船掃攘停止令」を発令。清国(支那)が英国に敗れるとの報を知ったに幕府の処置。01067/24【8/29】清、英国と南京条約締結。01077/26【8/31】幕府、「薪水給与令」を発令。幕府は、薪水を与えて立ち去らせるように指示。01088/-【9/-】「松下村塾、創始」。妻帯して杉家を出た松陰叔父の玉木文之進(1810~1876)が、この月、家学後見人に命ぜられ、のちに自宅に「松下村塾」を開く。大次郎(松陰)(1830~1859)も兄・梅太郎(修道、のちの民治)(1828~1910)と共にこれに通って学ぶ。安田辰之助(のちの山県半蔵、宍戸?)(1829~1901)・久保清太郎(のちの松太郎、断三)(1832~1878)・深栖多門(?~1868)・浅野往来・松村文祥らもその門人。乃木希まれ典すけ(1849~1912)もここで習った。玉木文之進旧宅(萩市椿東1584-1)は、松下村塾発祥の地として保存されている。0109西暦1842玉木文之進旧宅(山口県萩市)52