維新年表帖上巻

維新年表帖上巻 page 27/30

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9/1【10/15】幕府、参勤交代の励行を達する。00979/2【10/16】伊藤利助、のち俊輔(のちの伊藤博文)(1841~1909)、周防国熊毛郡束荷村字野尻(現・山口県光市束荷字野尻)の百姓・林十蔵(後に重蔵)(1816~....

9/1【10/15】幕府、参勤交代の励行を達する。00979/2【10/16】伊藤利助、のち俊輔(のちの伊藤博文)(1841~1909)、周防国熊毛郡束荷村字野尻(現・山口県光市束荷字野尻)の百姓・林十蔵(後に重蔵)(1816~1896)の長男として生まれる。母は秋山長左衛門の長女・琴子。曾祖父・半六の幼名「利八郎」と祖父・助左衛門の両頭字を取って「利助」と名づけられた。家が貧しかったため、12歳ごろから奉公に出されたという。父・十蔵が長州藩の蔵元付中間・水井武兵衛の養子となり、その武兵衛が安政元年(1854)に周防国佐波郡相畑村の足軽・伊藤弥右衛門の養子となって、伊藤直右衛門と改名したため、十蔵、博文父子も足軽となった。博文14歳である。安政4年(1857)2月、江戸湾警備のため相模国に派遣されていたとき、上司として赴任してきた来原良蔵と出会い、その紹介で吉田松陰の松下村塾に入門する。伊藤は身分が低いため、塾外で立ち聞きしていたという。松蔭が安政の大獄で斬首された際、桂小五郎の手附として江戸詰めしていた伊藤は、師の遺骸を引き取ることになる。その後、同門の久坂玄瑞・高杉晋作・桂小五郎・井上聞多(馨)らと倒幕運動に加わる009810/11【11/23】「蛮社の獄」。三河国田原藩家老・渡辺崋山(1793~1841)、自殺。0099西暦1842天保12 12/-【1/-】長州藩、江戸桜田邸内に有備館設置。0100天保13 - 有吉熊次郎(1842~1864)、この年、長州藩無給通士(30石)・有吉忠助の次男として生まれる。熊次郎は通称で、諱は良明(もしくは良朋)、字は子徳。安政4年(1857)16歳の時に吉田松陰の松下村塾に入塾する。文久2年(1862)高杉晋作らとイギリス公使館焼き討ちに参加。元治元年(1864)の禁門の変で自刃。本姓は藤原を称し、墓碑の刻字には藤原良明とある。作家有吉佐和子の曾祖父にあたる。0101西暦1841平田篤胤徳川家斉黒船騒動・鎖国から開国、その顛末を集めた 維新年表帖 上巻51