維新年表帖上巻

維新年表帖上巻 page 2/30

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2 「黒船来航」。嘉永6年(1853)6月、代将マシュー・ペリーが率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊の蒸気船2隻を含む艦船4隻が、日本に来航。当初久里浜(横須賀)に来航したが、当時その港は砂浜で黒船が接岸で....

2 「黒船来航」。嘉永6年(1853)6月、代将マシュー・ペリーが率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊の蒸気船2隻を含む艦船4隻が、日本に来航。当初久里浜(横須賀)に来航したが、当時その港は砂浜で黒船が接岸できなかったことから、幕府は江戸湾浦賀(神奈川県横須賀市浦賀)に誘導。アメリカ合衆国大統領国書が幕府に渡され、翌年の日米和親条約締結に至った。日本ではこの「黒船来航」から明治維新までを「幕末」と呼んでいる。何と220年続いた鎖国が止められる。 天皇を尊び政治の中心とする尊王と、外国を追い払う攘夷とが結びついた思想「尊王攘夷」が台頭、開国に対する不安や不満が増えるにつれて幕府に反対する運動に発展する。この倒幕派と対比するために佐幕派も台頭。日本は上から下まで、それぞれの立場で運動を繰り広げる。 この本は開国騒動、倒幕運動、佐幕派の動きを追った年表帖です。 特に西国の雄藩長州藩については、藩政の動向、支藩等の動き、長州にまつわる事件、藩士のプロフィールも充実させました。長州藩中心のストーリー。 幕末期には、藩の財政は窮乏。この貧窮する長州藩を救ったのが村田清風。清風没後、清風の改革を引き継いだ周布政之助は、政敵である坪井九右衛門、椋梨藤太と熾烈な戦いを繰り広げながら、藩政 改革を断行。海に面する長州藩は度々、欧米列強の船が海上を通過、上陸して乱暴された。藩は、早くから海防強化を急ぐべきことを目指していた。 そんな中、吉田松陰が登場する。松陰は過激に欧米列強の文化を見習い、国内の大改革を推し進めるべきことを心に抱き、海外亡命まで実行、無鉄砲ともいえる行動で窮地に立つ日本の未来を切り開くことに必死となっていた。その後、松下村塾を開き、多くの門下生に英知を教え、新時代を切り開くことを教えていく。「安政の大獄」で松陰が刑死すると松陰の門下生が大いに時代を動かしていく。桂小五郎・高杉晋作・久坂玄瑞・伊藤博文・山県有朋・井上馨・吉田稔麿など幾多の志士たちが時代を動かし奔走した。彼らは尊攘思想を展開して京都を動かした。公卿にも同調者が出て、攘夷親はじめに