維新年表帖上巻

維新年表帖上巻 page 13/30

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8/20【9/25】「長州藩天保の大一揆」。文政12年(1829)藩は産物会所を設置し、村役人(豪農層)に売買の独占権を与えて特産物(「防長の四白(米・紙・塩・蝋)」)の生産・流通を統制した。が、特権的な御用達商....

8/20【9/25】「長州藩天保の大一揆」。文政12年(1829)藩は産物会所を設置し、村役人(豪農層)に売買の独占権を与えて特産物(「防長の四白(米・紙・塩・蝋)」)の生産・流通を統制した。が、特権的な御用達商人と百姓が紛争、これを発端に一揆が起き、瀬戸内海沿岸から日本海沿岸の一帯まで波及した。001910/11【11/14】三吉慎蔵(1831~1901)、長府藩の今枝流剣術師範・小坂土佐九郎の次男として生まれる。三吉は、天保8年(1837)田辺惣左衛門の養子となり、藩校敬業館に入学。天保10年(1839)諸武芸師範に入門。嘉永2年(1849)田辺家から実家小坂家に帰って長州藩校明倫館に入学。宝蔵院流槍術に長じ、安政2年(1855)には長州藩師範・小幡源右衛門より免許皆伝を受ける。安政4年(1857)三吉十蔵の養子に迎えられた。同年、藩主毛利元もと周ちかの近習扈従役として江戸に随従している。文久3年(1863)赤間関(下関)の外国船砲撃事件に藩の軍議に与り、大砲鋳造掛締方・精兵隊諸事肝煎に就任。文武両道に秀で、藩主の信任厚い慎蔵は、文久3年8月22日、長府藩の青年武士によって結成された「精兵隊」の監督となる。また、山口在藩役や東豊浦郡代などを歴任し、慶応元年(1865)には永代馬廻格に遇せられた。0020西暦1832天保3 1/26【2/27】長門国萩魚棚沖町(現・山口県萩市)に萩藩医・松島瑞ずい蟠ばん(1795 ?~1832)、死去。享年38。松島瑞益(剛蔵)(1825~1865)、久米次郎(楫か 取とり素もと彦ひこ)(1829~1912)、小倉健作(のち松田謙三)(1832~1891)の兄弟3人は、母の手一つで育てられる。00219/23【10/16】陽明学者頼らい山さん陽よう(1780~1832)、「日本政記」脱稿後、水西荘にて病死。享年53。頼山陽は「安政の大獄」で捕らえられた頼三樹三郎の父。頼山陽の寓居地であり、頼三樹三郎が生まれた「山紫水明処」(上京区東三本木通り丸太町上ルの東側)が残る。なお、墓は息子の頼三樹三郎と共に長楽寺(現・東山区八坂鳥居前東入円山町626)にある。00229/28【10/21】頼山陽葬儀、光林寺(現・下京区綾小路通大宮西入綾大宮町39)で行われる。0023西暦1831山紫水明処(京都市上京区)頼山陽黒船騒動・鎖国から開国、その顛末を集めた 維新年表帖 上巻37